Charlie ”PIQUE”
Biography
Afro-Caribbean Percussionist
(長編)
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1958年カリブ海内米国自治領プエルトリコ南西部カボロホ生まれ、マヤグエス出身
5才から15才までをNYで過ごし、かのエクトル・ラボーのコンガ・プレイヤーであった凄腕パーカッショニスト、
ミルトン・カルドナと隣人として長年親交を深める。
その後、プエルトリコはサンヘルマンのインターアメリカン大学音楽科在学中から
エリアス・ロペスのバンドに所属してレコーディングを行なったり、
またOrquesta La Solucionでは伝説的歌手フランキー・ルイスと共にブレイク、
中南北米及びカリブ海諸国、ヨーロッパ各国などをライブツアーで巡る。
サルサとその周辺はもちろんのこと、
(ボンバ、プレーナ、ヒバロ、グァラーチャ、マンボ、ルンバ、e.t.c...)
ラテン全般からジャズ、アフリカン・ジャンベ、ドミニカン、ジャマイカン、ブラジリアン、
フレンチ・カリビアン、カリプソ、又、クラシックやポップやロックやファンク、レゲエのドラム・・・
打楽器ならなんでもこなすスーパーパーカッショニスト。
1986年に安定した収入と生活を求め、La Solucionを脱退し、
ウィリー・ソテロがフランキー・ルイスの為に作ったバンドへのオファーを断り、オーランドに移住。
アメリカを代表する大エンターテインメント企業にて日々演奏活動の傍ら、
各ミュージシャンたちからのラブコールは止まず、
スケジュールに余裕のあった夜や休日には、彼らを助け、共に演奏する生活を続けた。
古くからはザビア・クガート、エリアス・ロペス、フランキー・ルイス、セリア・クルス、
トミー・オリベンシア、ティト・ニエベス、ジョバンニ・イダルゴ、マイルス・ペーニャ、
近年はルイシート・カリオン、ブレンダ・K・スター、チョコ・オルタ、
チャーリー・クルス、ジョニー・リベラ、イズマエル・ミランダ、マリオ・オルティスJr、
他ジャマイカのプロ・レゲエ・バンドや、トリニダード・トバゴのプロ・スチールパン・バンドなどなど、
数え切れないアーティストたちに、繰り返しその腕前を請われてきたプロミュージシャン。
その教え子たちは現在、ビクトル・マヌエルやティト・ニエベス、マーク・アンソニーのバンドメンバーとして活躍中。
これまでに行なってきた公演は、NYのマジソンスクエアガーデン、
マイアミ・アリーナにおけるスーパーボールプレゲーム、
マイアミにおけるビルボードライブコンサート、
オーランドにおけるNBAプロバスケのハーフタイム・ライブ、
また中南米カリブ海各国、ヨーロッパやアジアなど世界中で数え切れないほど。
ちなみに、Charlieも”PIQUE”も彼の昔からのニックネームであるが、
”PIQUE”というのはスペイン語。
英語ならSPICYという意味であり、
Charlieがあまりにも精密で繊細なスタッカート、正確なリズムを刻みつつ、
非常に豊かな表現力で音楽を鮮やかに彩ることから、
ティト・ニエベスのマネージャーであったトニー・サヤスが名づけたもの。
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